手放した実家のその後【実家がたり】

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「あなたの実家について教えてください」と尋ねられたら、どんなことを思い浮かべ、答えますか?

連載企画「実家がたり」では、さまざまな人に「実家」をテーマにしたエッセイを書いてもらいます。第2回は、ライターの中村英里さんです。


実家を手放した人はこの世にたくさんいると思うけれど、手放した実家のその後を知っている人は、どれだけいるのだろうか。

私の家は昔、浅草で靴の問屋を営んでいた。1階が店舗で、2階が住居。私がまだ幼いころに商売を畳み、その後しばらくはその物件に住み続けていた。私が大学生のころに実家を売りに出すことになり、私たちは元実家からほど近い場所に引っ越した。

その後、元実家は貸物件になった。借り手が変わるたびに、シェアオフィスや外国人向けの宿泊施設、カフェなど、いろいろな施設へと変わっていった。

元実家は、新しい家から最寄り駅に向かうまでの間にあったので、通りすがりで中をのぞき見ることがよくあった。でも、何となく中に入る気にはなれなかった。お店の人と目が合いそうになるとすぐにそらし、足早に立ち去る、なんてことも何度かあった。

実は私は、元実家の最初の借り手に会ったことがある。

それは数年前のこと。私は会社員を経てフリーランスのライターとして活動を始めていた。その頃には浅草を出て別の場所に住んでいたし、元実家のことはすっかり頭になかった。でも、ある仕事の依頼をきっかけに、元実家の最初の借り手であるシェアオフィスのオーナーに会うことになったのだ。

浅草の地域情報を扱うWebメディアの仕事で、私のTwitter(現在はX)のプロフィールに書いてあった「浅草出身」の文言を見て、連絡をくれたそうだ。

最初に依頼されたのは、浅草エリアを拠点にまちづくり事業をやっている会社の代表へのインタビュー記事。まだ駆け出しのライターで仕事も少なかった私は、「Twitter経由で依頼が来るなんて嬉しい!」と、張り切って取材の準備を進めていた。

すると、会社の事業内容を調べる中で「過去に浅草でシェアオフィスを運営」と書いてあるのを見つけ、「あれ?」と、何かが引っかかった。気になってさらに調べてみると、その会社の昔のブログ記事に、シェアオフィスの詳細が書かれているのを見つけた。古い物件をリノベーションしてシェアオフィスを手作りしていく様子が、写真付きで紹介されている。この古い物件というのが、まさに私の元実家だった。

仕事を依頼してくれたメディアの人は、もちろんこのことを知っていたわけではない。完全なる偶然だった。こんなことある?と本当にびっくりして、すぐに母に連絡したら、母も「エエッ?!」となっていた。そらそうだよな。

リノベーションの様子が綴られたブログ記事を読み進めていく。ブログには、リノベーションされる前の元実家の写真も、たくさん載っていた。

住人がいなくなって朽ち果てた、築50年以上の家。

店舗として使っていた1階の、靴箱をずらりと並べていた棚はほこりまみれだった。床のタイルは剥がれまくっている。奥のほうに見える扉、ここはトイレだ。和式でレバーを引っ張って水を流すような、ものすごく古いタイプのものだった。

奥に進むとガラスの引き戸があり、その先には台所がある。木の床は腐ってボロボロ。保存食なんかを入れていた、床下収納の扉も外れてしまっている。

台所の流しの右側にはお風呂が写っていた。写真を見て思い出したけど、そういえばお風呂の床は小石を散らばしたような、変なデザインだった。古い家だったので、外気が入りまくりで冬はものすごく寒かった。

2階に上がる階段の写真もあった。ほこりまみれだ。この階段はめちゃくちゃ急だった。小さい頃、ふざけて家の中を走り回っていたら、階段の降り口の近くですっ転んで、「落ちたら危ないでしょ!!!」と母にものすごく怒られたこともあった。

2階の子ども部屋には勉強机を置いていた。机は実家を出て行くときにそのまま置いていったはずだけど写っていない。いつ撤去されたんだろう。

ここにテレビがあった、ここにはパソコン、あそこに妹と二人で写った写真が飾ってあった……。いくらでも思い出せた。

正直言って、住みやすい家ではなかった。大通り沿いだから車の音もうるさかったし、家そのものが古いつくりで、使いにくかった。もともと店だったから、出入り口はシャッターしかない。友達の家はみんなドアを開けて出入りするのに、ガラガラとシャッターを手で開けて出入りするのは、恥ずかしくて嫌だった。

いろんなことを思い出しながら朽ち果てた我が家の写真を眺めていたが、しだいに改修されていく様子に、写真が移り変わっていった。タオルを巻いて、マスクをした人たちによって、扉は外され、床のタイルや壁が剥がされていく。壁に備え付けられていた棚も取り外され、分解された棚板や支柱などが大量に積み上げられた写真もあった。

私の家が、壊されていく。

その様子を見て、胸が詰まるような苦しさを感じた。

古い物件を自分たちの手でリノベーションして、シェアオフィスを作る。それってすごく楽しいんだろうな、と思う。ここはもう私の家ではないし、その人たちは何も悪いことはしていない。でも、どこもかしこも思い出まみれの空間が、他人によって壊され作り替えられていく様子を見るのは、複雑な思いだった。

さらにブログを読み進めていくと、リノベーション後の写真に切り替わった。

1階の売り物の靴が並んでいた場所には植物や本が並べられ、2階の子ども部屋だった場所はワークスペースになっていた。おしゃれな照明が吊るされていて、テーブルの上にはMacが置かれている。ぼろぼろの廃墟のようだった元実家は、きれいに作り替えられていた。シェアオフィスのメンバーと思われる人たちが、笑顔でくつろいでいる写真もあった。

ただ、仏壇の棚や和室の引き戸がそのまま使われていたし、店の名前がでかでかと書かれた看板も、外に掛かったままだった。昔の実家の面影は、あちこちに残っていた。

なんとも言えない思いを抱えながら迎えた、取材当日。シェアオフィスの方にお会いした際に「実はあの家に住んでいたんです」と伝えたら、当然だけどすごく驚いていた。そして、「僕たちはあの場所から始まったんです。いろんな地域の方とのつながりができましたし、新しいプロジェクトも生まれました」と語ってくれた。

元実家は、私たちが手放したあと、8年近く借り手がつかなかったらしい。店舗兼住居という変わったつくりだったからだろうか。半ば放置され、ぼろぼろの廃墟のようになっていた元実家をきれいにしてくれたシェアオフィスの人たちには、感謝している。もしその人たちが手を入れてくれなかったら、今もその建物は使われないまま放置され続けているか、取り壊されているかのどちらかだっただろう。

取材をしたのは4年前。浅草のシェアオフィスを運営していたその会社は、今はいろいろな場所で、地域と連携したまちづくり事業をおこなっている。元実家がきっかけで新しいものが生まれて、広がりを見せているのは嬉しい気持ちもある。

ただ、やっぱり今でもあの場所は私にとっては「私の家」であり、割り切れない、もやもやとした感情がどうしてもあるのだ。

私の元実家は今、若者に人気のおしゃれなカフェになっている。

ある日、Instagramを見ていると、「2023年、浅草にOPEN」という文字が添えられた、華やかなドリンクの写真を見かけた。へぇ、場所どこだろう?と調べてみたら、そこには元実家の住所が書かれていて、ぎょっとした。「古民家を改装した和モダンな空間」だそうだ。古民家カフェ、私も好きでよく行くけれど、そこは元々誰かの家だったんだよな、と改めて思う。

カフェになった我が家を見てみたくなり、少し前に、元実家を見に行ったことがある。

夫と一緒にベビーカーを押しながら、そのカフェに向かう。店の前には、若い女の子たちが長い列を作っていた。通り過ぎる時に中をちらりとのぞき見る。白とグレーを基調としたシックな雰囲気の、おしゃれなお店。内装はずいぶん変わっていたけれど、建物はそのままなので、やはり元実家の名残はあった。

「寄っていく?」と、夫が聞いてきた。夫はそこが私の元実家だと知っている。気をきかせてくれたのだろう。でも私は、中に入る気にはなれなかった。

さみしいとか悲しいとか悔しいとか、そういうはっきりとした言葉で表せるものではない、なんだかとにかくもやもやする、みたいな感情があるのだ。自分が住んでいた家に知らない人がたくさん出入りしているという違和感。多分この先もずっと、あの場所がカフェじゃなくて別のお店になったとしても、中に入ろうとは思えないだろう。

このもやもやを解消する方法はあるんだろうか。わからないけれど、別に解消しなくてもいい気もしている。このもやもやは、これがあることで自分の心に影を落とすような、マイナスの感情とは少し違う。懐かしさを伴う、しんみりとした気持ち。無理になくす必要はなくて、これはこれとしてずっと心に持っておいてもいいんじゃないかと思っている。

いつかあの建物は、取り壊されるんだろう。その時、私は何を感じるんだろうか。きっとさみしいんだろうな。どのくらいさみしいんだろう。泣いたりするんだろうか。今抱えているもやもやと一緒にその感情も抱えながら、そこから先を生きていくんだろうな。それも悪くないんじゃないかな、と思う。

文・中村英里
イラスト:ぬー

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