実家が消えることになった日。それは“ちゃんと”生きてきた母がしっかり者の呪いから解かれた日

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ずっとちゃんとしなきゃいけなかった。長女だから、お母さんに嫌われたくなかったから。

これは、たぶん呪いだったんだと思う。

きっとお母さんは私に綺麗に育って欲しかったのだ。

私が小さい頃「不思議の国のアリス」のハートの女王を真似ていると、お母さんは「本当にお話が好きね〜」と嬉しそうに笑っていた。でも私の読んでいた「名探偵コナン」は没収されて押入れの高い位置に置かれたし、民放のバラエティ番組は品がないからとチャンネルはいつもNHKだった。

お母さんの好きな私でいたかったから、学校でも羽目を外すことはなかった。お母さんも喜んでいたと思う。しかし1つの疑問がずっとあった。

「私は誰のためにちゃんとして生きているんだろう?」

お母さんの好きな自分を演じ続けることは、自分の人生に誠実ではない気がした。

お母さんの好きな私じゃなくて、本当の自分を探したい。

上京してから、そう強く思うようになった。

**

前置きが長くなりました。さて、ここからが本題の話。

東京のベッドタウンとして有名な地方都市、私はそこで母と父と弟と祖父母と犬と住んでいた。

私の家はなかなか大きい。戦前から土地を持っている人たちが多く、そこらへん一帯は一軒家ばかり。そこそこ大きな庭があり、小学生の時は兄弟でかくれんぼやバトミントンができるくらいの広さがあった。飼い犬のハナちゃんは、軒下に穴を掘ってよく昼寝をしていた。お盆には家族みんなで集まってバーベキューをした。お肉を食べて、花火をして、お母さんがスイカを切ってくれて。どこの映画のワンシーンだよってくらい、絵に描いたような幸せな時間があった。

でも、私が大きくなるにつれて、実家のまわりはどんどん廃れていった。近所の子供たちはほとんど成人して、一軒家ばかりだった一帯は「世話をする人がいないから」という理由で、高層マンションに生まれ変わっていった。気がつけば、私の家は大きな白骨みたいなマンションに囲まれていて取り残されていた。

1年前にハナちゃんが死んで、その後祖母が死んだ。上京した私は、俳優になっていた。ある日、久しぶりに実家に帰ると、お母さんがコーヒーを淹れながら話し始めた。

「……ママさ〜、引っ越そうかなと思ってるんだよね」

突然のことに驚いて、嘘でしょ? と半信半疑で聞くと、両親はこの家から引っ越して祖父だけが残り、将来的には賃貸物件として貸し出そうかと考えているという。まだ考えてるだけだけどね、とお母さんは言ったが、私はにわかには信じられなかった。幼いときから長年過ごしたこの家が無くなることの実感があまり湧かなかった。

私は仕事のために東京に戻ったが、帰り際に振り返って見た家は昔よりもなんだか広くみえた。

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私とお母さんはときどき電話をした。楽しくて、気がつくと1時間くらいべらべら喋っている。お母さんが好きなハイキングの話とか、私の出てるCM見たよ〜とか、弟がメタバースにハマってるとかを話して、ゲラゲラ笑う。

私の近況を尋ねるとき、お母さんはちょっと優しい声になる。その声を聞くと、私はちょっと背中がむずむずする。小さい頃から手に職を付けなさいと教えられ、その通り資格をとってちゃんと働いているお母さんにとって、俳優という先の見えない仕事は不安なのだと思う。電話口の声から私は敏感にそれをキャッチして、耳にあてていた携帯をスピーカーに切り替える。

だいたいいつもお母さんは、誰もが頑張って報われる世界じゃないから、と私に説く。普段なら、ごめんねと返して終わるやりとりだった。でもこの日はどうしても折れたくなかった。私だってちゃんと俳優をやっているんだ、と見返したいような認めてほしいような気持ちだった。

『俳優をしているときは自分で生きている感じがするから。そういう人に憧れるんだ』

返事はすぐに返って来なかった。

悪いことを言ったかなと不安になって、とっさにごめんと言おうと思ったとき、「……そっかあ」とお母さんが切り出した。

「……私もね、引っ越すことにしたの。今度ねお父さんと一緒に見にいくのよ。駅前にね、立派な図書館があって、そこでのんびり過ごすのが楽しみなの」

お母さんはいつの間にか主語が「ママ」から「私」になっていた。

お母さんだった人の隣にもうひとり同じ形の女性がいた。

知ってるけど知らない女の人。

お母さんじゃないお母さん。

彼女は言った。

「……私は長女だから、おじいちゃんの面倒を看るのが役目だと思ってたけど、今おじいちゃんも元気だし。自分の人生をね、歩いてみようって」

あ、この感じ知ってる。

私は彼女の背後にあるものの正体を少し見た気がした。

私とおんなじ呪い。それは彼女にもかけられていたんだ。

私の知る彼女は、母として、長女として、“ちゃんと”生きていた。

祖母が認知症になり「タオルとって」という些細なことで急に電話がかかってきても、弟が「暇だったから」と連絡もせず急に実家に帰ってきても、私が急に体調が悪くなって学校を早退した時も、彼女は自分の仕事や用事を手早く済ませて(ときには後回しにして)必ず母として長女として働いてくれた。

彼女のちゃんとした姿勢を過保護すぎだよ〜と言って馬鹿にしたこともあった。それでも彼女は「みんな早く家を出てっちゃったからお母さんさせてよ」と言って世話することを選んだし、私たちもそれに甘えていた。私といるときはお姉ちゃんって大変よね、と言ってよく彼女は私を撫でた。「無理しないでね」が彼女の口癖で、もしかするとそれは彼女が一番言って欲しかった言葉なのかもしれない。

ずっと“ちゃんと”して生きてきた彼女は、もうお母さんから、長女から、抜け出る自由があると思った。私にそれを止める理由はない。それに、彼女にはそうしてほしいと思った。

「良いと思う」

私はそう言って電話を切った。

彼女はきっと家を出る。

遠くない将来、あの家も高層化した感じのいい白骨のひとつとなって、一帯を埋めるのだろう。

布団に寝転がって、あの家にはなかなかお世話になったなあと思い出す。生花が趣味のお母さんが庭の花を一つ一つ教えてくれたこと。ハナちゃんが逃げた!と家族総出で大捜索したら、軒下に穴を掘って気持ちよさそうに寝ていたこと。夏休みに畳で寝っ転がる私をみて、「ここはあなたの家だから、いつでも帰っておいで」というお母さんがすごく嬉しそうだったこと。もう20年も住んでいると、いろんなことが浮かんでくる。

でも、あの庭も家も、もうすぐ私の帰る場所ではなくなる。

携帯をベッドに放って、帰る場所が無くなることを想像する。

さびしいけど、私は彼女の決断を素敵だと思う。

……まあ、引っ越しくらいは手伝いに帰るか、面倒だけど。

文・イトウハルヒ
イラスト:ぬー

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