【かぞくの食卓】#1 ワンプレートの朝ごはん

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連載企画「かぞくの食卓」で取り上げるのは、誰かが忘れたくないと思った無数の食卓のシーンです。どんなに忘れたくないと思っていても、記憶は自然と薄れ、思い出せなくなっていくもの。この企画ではそんな記憶を覚え続けていくために、さまざまな人にかぞくとの思い出の食事を語ってもらいます。第1回は、作家のひらいめぐみさん。


 結婚する前に一度だけ、夫ののぞむくんの実家へ行ったことがある。付き合ってわりとすぐ、のぞむくんはたびたび勢いよく「結婚しよう!」という言葉を口にしていた。自分の家族を見ていて、結婚がいいものと思ったことはなかったけれど、のぞむくんとなら一緒に暮らすことはできそうだな、と思った。

 ちょうどお互いに住んでいた家の更新があり、同棲をすることが決まる。「今すぐではなくとも、結婚するかもしれないし」と、なんとなくそれぞれの実家へ一度行くことになった。半年後、人生で初めて北海道行きの飛行機に乗った。

 新千歳空港からのぞむくんの地元のまちまで、迎えにきてもらった車で向かう。湿度のないからっとした風は、残暑が続いている東京とはまるで違う。まちの方まで来ると、車窓からは、一面の海が広がっている。遠くでかもめが飛んでいる。反対車線には、防寒対策として玄関フードがついている家が並ぶ。どこもかしこも、見たことのない光景。遠く離れたこの土地で生まれ育ったのぞむくんと東京で出会ったことの不思議さを思い、同時にうれしくなった。

 着いた日の夜は彼のご両親に挨拶をし、ごはんを食べ、テレビを観ながらリビングでゆっくりと過ごす。着く前まではものすごく緊張していたけれど、のぞむくんのお母さんもお父さんもとてもあたたかく迎えてくれたおかげで、いつのまにかリラックスして過ごしていた。

 朝、目が覚めて2階から1階のリビングへ向かうと、コーヒーの香ばしい香りがする。ダイニングテーブルには朝食が並んでいて、のぞむくんのお母さんのはなえさんが「みんなで一緒に食べよう」と声をかけてくれる。キッチンには、お父さんのはじめさんが立っている。わたしの実家では朝ごはんを作るのはいつも母で、家族全員で朝ごはんを食べることはあまりなかった。だから、はじめさんが朝ごはんの準備をしてくれていることに、わたしはとても驚いた。

 食パンのかたちをしたプレートに、トーストと千切りキャベツ、ミニトマト、スクランブルエッグ、ハッシュドポテトが乗っている。その横に、ヨーグルトと淹れたてのホットコーヒー。そうだ、ウィンナーもあったかな。「めぐちゃんはめんこいから」と言って、ウィンナーをひとつ増やしてもらった記憶がぼんやりとある。

 青のギンガムチェックのクロスがかかったテーブルを4人で囲み、朝ごはんを食べる。キッチンの窓の外からは、紅葉した木々が見渡せる。野生の動物たちが生息しているらしく、鹿が出てきたこともあるそうだ。外の景色を眺めながら朝食を食べるのは、なんだかハイキングしているようで、たのしい。ハッシュドポテトをのぞむくんが「これ好きなんだよね」と言い、そういえば食べるの久しぶりだなあ、とわたしもにこにこしながら食べた。

 ごはんを食べている最中、はじめさんにたまごの賞味期限のシールを集めていると話すと、ちょっと引いた顔で「変わってるなあ〜」と言われた。やばいやつだと思われてしまったかな、と焦ったけれど、東京に戻って少し経ったころ、LINEでたまごシールの写真が送られてきた。わたしの大切なものを、同じようにおもしろがってくれる、ゆかいなお父さんだった。

 結婚を考えるときは、いちばんに結婚相手との相性を大事にするものかもしれない。だけどわたしにとっては、のぞむくんと同じくらい、はじめさんとはなえさんに会えたことが、とても大きかった。一度しか会っていないけれど、のぞむくんだけじゃなく、のぞむくんのお父さん、お母さんとも家族になりたい。こんなふうに、誰かと家族になりたいと思う感覚は、初めてだった。同棲をはじめて2年目、飲んで帰ってきたのぞむくんが、いつものように「結婚しよう!」と言う。「婚姻届出すには戸籍謄本がいるんだよ」と返すと、のぞむくんはその場でお父さんにLINEを送った。あのとき、はじめさんはどんな気持ちだったんだろう。

 今年の夏、はじめさんの初盆を迎えた。定年退職を迎えてすぐ、病気が見つかったはじめさんとは、元気な姿では一度しか会えないまま遠くへ行ってしまった。お線香をあげにのぞむくんと一緒におうちへ行ったとき、はなえさんは「お父さんはめぐちゃんのファンなの」と言った。

 はなえさんが夕飯の準備をしてくれていたところ、急に炊飯器のスイッチがつかなくなってしまう。食器棚の裏にある電源を探すため、米びつを移動させると、その側面にたまごの賞味期限のシールがついていた。数年前、はじめさんが送ってくれた写真のシールだった。

 いなくなってしまった人のことを思い出し、さみしく感じるのは、「いっしょに過ごすこれからの時間」のことを、何度も想像してきたからなのかもしれない。

 懐かしむには、思い出が少なすぎる。その思い出すら、年々記憶が薄れていっている。それでも、出会えてよかったと思う。

 お盆で数日滞在し、東京へ帰る日の朝、9時過ぎにようやく起きてキッチンにいるはなえさんに挨拶をする。ダイニングテーブルには、すでにのぞむくんとわたしの分の朝ごはんを用意してくれていた。お皿の上に、トーストと千切りキャベツ、ミニトマト、スクランブルエッグ。はじめさんが作ってくれたあのときの朝食のような、ワンプレートの朝ごはんだ。少ししてからのぞむくんが起きてくる。二人で横に並び、一緒に朝ごはんを食べる。窓からは、夏らしく青々とした緑が生い茂っている。あのときとは季節も違う。ワンプレートに乗っているおかずも、ちょっと違う。でも、このダイニングテーブルで朝ごはんを食べるたび、わたしはきっと4人で過ごした朝ごはんの時間を何度も思い出すのだろう。

 のんびり食べていたら、先に食べ終わったのぞむくんが「めぐちゃんはめんこいから」とヨーグルトをくれる。うれしそうに自分の好物を分けようとするその表情は、はじめさんによく似ていた。

文・ひらいめぐみ
イラスト・漆原さくら

 

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