「おばあちゃんらしさ」を取っ払ってくれた”お母さん”のこと

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しわが刻まれ、血管が浮き出た白い甲に、キラリと光る指輪をつけた長い指。長い年月を生きてきた証のような美しい手で、祖母は丁寧にマフラーをたたみ直し、柄がきれいに見えるように私の首元にふわりと巻き直してくれた。

ある冬のこと、「なおちゃん、ちょっと」と祖母が私を呼び寄せた。家でもきれいに身支度を整え、指輪や腕時計をするおしゃれな人だったから、慌ただしく帰り支度をした私がマフラーをぐちゃぐちゃに巻いていたのが気になったらしい。

「別にマフラーくらいで……」と思った私は、巻き方を変えるだけで自分が少しだけちゃんとして見えること、安物のマフラーもほんのちょっぴり立派に見えることに驚いた。

祖母にしてもらったことはたくさんある。なのに、なぜかこのことばかりが強く心に残っている。

私を含めた孫たちは、祖母のことを「おばあちゃん」と呼んだことは一度もない。母や叔母の「お母さん」という呼び方を幼い姉が真似て、私や従姉妹たちもそれにならったからだ。なので、ここでもお母さんと呼ばせてもらう。

都心に建つお母さんの家は、花が描かれた食器や「レースドール」と呼ばれる磁器でできた人形など、手作りのものであふれていた。私が手作りのものに惹かれるのは、お母さんの影響かもしれない。

私が物心ついた頃はすでに祖父は写真でした会えない存在で、お母さんは片脚に病気を抱えていた。いつも脚をきつく締め付けるタイプのサポーターをしていて、毎晩外すのに苦労していたのを覚えている。

何度か病にかかり、生死の境をさまよった経験のあるお母さんが、あるとき「見たことがないくらいきれいなお花畑」を訪れたときのことを話してくれた。

「お友達が来て『あっちにきれいなお花があるから一緒に行きましょう』と声をかけてくれたけど、『私、脚が悪くて行けないのよ』と断ったの」

そうして、こちらの世界へ戻ってきたそう。その話を聞き、長いことお母さんを苦しめてきた脚に「引き留めてくれてありがとう」と初めて感謝した。

元気だった頃のお母さんは、孫を連れて香港旅行をするのを楽しみにしていた。初めに姉と2人で行き、次は私と同じ年の従姉妹の番だった。ところが、当時中学2年生だった私は、「初めて行く海外はロサンゼルスと決めている」という生意気な理由で断ってしまったのだ。何度思い出しても恥ずかしく、申し訳ない。厨二病よ、恐るべし。

お母さんは、『サザエさん』や『ちびまる子ちゃん』などのアニメや漫画に出てくるような「畳敷きの部屋で暮らすほのぼのとしたおばあちゃん」ではなかった。子どものころの私は、そういう“おばあちゃん像”に憧れたことがあるし、「田舎のおばあちゃんの家に行く」という友達の言葉をまぶしく感じたこともある。

でも、私にとっては自慢のお母さん。幼い私が勝手にはめ込もうとしていた「おばあちゃんらしさ」の枠を取っ払ってくれて良かったとも思う。

お母さんが亡くなったのは冬だったのに、葬儀の日に庭のバラが開花するという出来事があった。生前大切に育てていたバラだったから、一緒に旅立ちたかったのかもしれない。

テーブルに広げた新聞紙の上に花を並べ、全体のバランスを見ながら茎を1本ずつカットして花瓶に生けたり、新聞で花の絵や写真を切り抜いて保存したり……。お母さんが身の回りのものを慈しんでいる姿が印象的だった。

私は、その人の孫とは思えないほど大ざっぱな人間で、植物もすぐに枯らせてしまう。そんな私でも、マフラーを巻くときだけはほんの少し丁寧になる。

文・畑 菜穂子

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