「声のギフト」が悲しみをほどいた日

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友人や知人から「珍しいね」と言われることのひとつに、親戚との付き合い方の話がある。母方の親戚同士がみんな、仲が良すぎるのだ。

わたしの母方の祖母には7人の兄弟がいる。兄弟たちには子ども、孫がそれぞれ生まれているため、親戚とくくると50名以上の大所帯になる。それにも関わらず、わたしにとって、祖母の兄弟はもちろん、その子どもや孫──いわばわたしにとっての“はとこ”の存在までもが、幼い頃からとても身近なのだ。

今年、わたしは28歳を迎える。この世代にもなってくると、一般的に親戚付き合いというのは減ってくるらしく、わたしの周りには「いとこと会ったことがない」「はとこが存在するのかもわからない」という人は多い。

その点、わたしは幼い頃から祖母の親戚と頻繁に会っていたし、たくさんかわいがってもらってきた自覚がある。祖母兄弟が大層仲が良かったからか、兄弟のいないわたしにとって、歳の近い親戚たちはまるで兄であり姉、弟であり妹そのものだった。

そういう背景があり、一見すると遠いはずの存在である「祖母の姉」や「祖母の妹」は、わたしにとっては“本当のおばあちゃん”同然のような存在だったのだ。

今回書くのは、そんな祖母の兄弟について。

*****

冒頭からそう明るくない話を記すが、昨年、祖母の姉が亡くなった。その後を追いかけるように、つい先日、祖母の妹が亡くなった。二人とも、祖母とは親友のように見えるほど仲睦まじく、一緒に美容院に出かけたり、お茶をしたり、頻繁に電話をするなど、祖母にとっては心の大きな支えになっていた存在だろうと思う。

わたしにとっても二人はただひたすらに「大好きなおばあちゃん」だった。小さな頃からおいしい料理を食べさせてくれ、たくさん話を聞いてくれ、それでいてきちんと叱ってくれる二人は、かけがえのない存在という他なかった。

そんな二人が、立て続けに旅立ったのだ。わたしですら受け止めきれなかった二人の死を、80年間寄り添ってきた祖母は受け止め切れるはずもなく、失意のまま葬儀は終わった。涙こそ流れたものの、本当に彼女たちともう会うことができないだなんて、まったく理解すらできなかった。

旅立った祖母の妹を見送ったその日、祖父母の家で夜ごはんを食べて一息ついていたときのこと。唇をきゅっと結んでやりきれない切なさと戦っていた祖母が、ふいに口を開いた。

「ねえ、iPhoneに変なマークが出ているの」

数年前、LINEを使うために馴染みのガラケーからiPhoneへと機種変更した祖母。複雑な操作感や見知らぬマークに不安を覚えては、そわそわしながらわたしや母に連絡をくれるようになっていた。そんな祖母は、その日もまた首をかしげながら私たちにiPhoneを委ねている。

落胆している祖母が久しぶりに口を開いたと思えば、iPhoneの話。「なぜ、今のタイミングなのだろう」と思いつつ、困っている祖母からiPhoneを受け取り、スクリーンを眺めてみる。

“変なマーク”の正体は、通知を知らせる真っ赤なバッジだった。電話アプリに付いたそのバッジは、アプリの少ない祖母のiPhone上でどうにもよく映える。その通知を消したい、というのが彼女の要望だった。

叶えるのが特段難しいわけではないその願い。操作してみると、通知がついていたのは「留守番電話」のタブだった。タップして通知を消す。それと同時にふとスクリーンの下部に目をやる。すると、見覚えのある名前からの留守番電話が残されていた。

送り主はなんと、亡くなった彼女の姉と妹。生前に二人の残した留守番電話がiPhoneを購入してからの数年分、綺麗に記録されていたのだった。

「ねえねえ、二人からの留守番電話、ちゃんと残しているんだね」と、わたし。祖母は「留守番電話? なあにそれ? そういう機能があるの?」と不思議顔。どうやら、据え置きの電話同様にスマートフォンにも留守番電話の機能があることを知らなかったようだ。

試しに再生ボタンを押してみる。数秒間の沈黙が流れる。聞き慣れた、大好きな人の声がiPhone越しに聞こえてきた。少しだけザリザリとした通話音の向こうから聞こえる、幼い頃からわたしを愛してくれてきた人たちの柔らかな声。予期せぬサプライズだった。

残されている留守番電話は十数件にものぼる。上から順にタップしてみると、馴染みのある祖母の姉や妹の声が次々と流れてくる。日頃からあれだけ頻繁に電話で会話を交わしていたのだ。留守番電話だって相当な数になるのだろう。

「あら、やだわ……」と、つぶやく祖母を見つめる。愛おしがるような、けれど悲しみがあふれているような、そんな言葉にならない表情をしていた。彼女にとって、そしてもちろんわたしにとっても、唯一無二ともいえる大切な人たちが、画面越しに戻ってきてくれたのだから当たり前だ。

「明日、手術になりますよ、頑張りますね」だとか「出てくれないの? お電話、待っていますね」だとか。嬉々としたものから不安げなものまで、リアルタイムの心境が綴られた電話口の声は、この間まで彼女たちがたしかに生きていたことを残してくれるなによりの証拠なのだった。

そんな声を聞いて、たまらず涙を浮かべていた。耳元から聞こえるのは声ばかりのはずなのに、まるで彼女たちの笑顔や想いまでもが鮮明に見えたような気がした。

*****

亡くなった人は、どれだけ願ってもかえってきてはくれない。矢継ぎ早にかけがえのない人が目の前からいなくなってしまうという悪夢のようなできごとを、どんなふうに乗り越えていけばいいのかすらもよくわからなかった。そんな悲しみのさなかで、タイミングよく気づくことができたのが留守番電話の音声の存在だった。

訪れた深い悲しみはそうそう消えるものではない。けれど、何気ない彼女たちの日々がそこにはあり、なによりたしかに生きていたことをわたしに教えてくれたのだ。

ふいに舞い降りたささやかな声のギフト。それは、私たち家族のぽっかりと空いた心の穴に、今日も少しのうるおいを与えてくれている。

文・詩乃

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