姉であり親友である、母
もしも、運命共同体という存在が自分にいるのだとしたら、それは間違いなく母だ。というのも、母とわたしとの間には、どうにも言葉だけでは説明できない、長い時間をかけて共有された感覚があるように感じるのだ。それは、日常生活のなかでふいに訪れる。
たとえば、最近どうしているのかなと何気なく母に電話をかけたある日。耳元で数回のコールが聞こえたあと、電話に出た母の第一声は「ああ、わたしも今かけようと思っていたのよ」だった。逆も然りで、わたし自身も「もうすぐ母から電話がかかってくるだろうから……」と思っていると、ほどなくしてiPhoneが電話の通知を知らせてくれる。そういうことが、普通によく起こる。
ほかにも、私たちはお互いの様子がいつもと違うと思ったとき「なにがあったのか」の大枠をお互いに推察することができるらしい。もちろん具体的な話がわかるわけではないのだが「職場で悲しいことを言われたのだろうな」のようなレベルの推測であれば、基本的にはお互い外さない。正しくは、推測というより「どうしてか伝わってきてしまう」という感覚なのだ。
母とわたしが起こしてしまうこの不可解な現象をなんと呼ぶのかはまったくわからない。いつからかというか、昔からそういうふうに暮らしてきているので、私たち親子にとっては当たり前のような状況ですらある。ただ、ひとつ言えるのは、一緒に過ごしてきた時間の長さとその密度が、こうした現象を生み出しているのだろうということ。
母とわたしは、共に長女でありひとりっ子として育てられてきた。わたしの父は昔から仕事が忙しく、平日は深夜(もしくは明け方)にシャワーを浴びにだけ帰ってくる程度だったし、土日も休日出勤ばかり。仮に休日があったとしても、家でとにかく睡眠を貯金しようとしていた。その姿は、平成初期のサラリーマンよろしく、家族のために働く男そのものだった。
わたしの物心がついてからもその暮らしは変わらず、相次ぐ激務、激務、激務。加えて、わたしが中学生になった頃からは父の単身赴任もあり、父と共に過ごした時間はほとんどないと言っても過言ではない。とある日、深夜に帰ってきた父を迎えた幼いわたしは「このおじさん、だあれ?」「おじさんも、いっしょにあそぶ?」と随分な言葉を放ったそうだ。母は大いに青ざめ、その後父の写真を部屋に飾るようになった。
(※ 父の名誉のために補足するが、わたしは父のこともすごく尊敬している。一緒に過ごした時間が短かった分、大人になってから彼と言葉を交わす時間はとても増えたし、離れていても父が母やわたしを愛していることは十分伝わっていたからだ)
そんなわけで、父と暮らした時間が短く、それでいてひとりっ子だったわたしにとって、一緒に過ごしてくれるのは唯一、母ひとり。朝起きてから、夜眠りにつくまで、わたしの日々には常に母がいてくれたし、母がいれば十分とも思っていたのだった。
「おかあさんは、詩乃のおかあさんだけど、おねえちゃんでもあるんだよ」と、母は小さなわたしに向かって言葉にしたことがあるそうだ。その言葉を、わたしはどんな表情で聞いていたのだろう。母なりの気づかいの言葉だったと少しだけ成長した今ならわかる。
ただ、母と祖母の関係は、わたしと母との関係のようにウェットなものではなかったと聞いたことがある。どちらかというとさっぱりと紡がれた彼女たちの関係性は、母にとっては少しばかり切ないものだったのかもしれない。とはいえ、自身の体質的な背景もあり、母は兄弟姉妹をつくるという選択肢を取らなかった。そうして見出したのが「母でありながら、姉であり続ける」という結論だったのだろう。
私たちは、落ち込んだり悲しいことがあれば互いを呼び出してマシンガントークを繰り広げてしまうし、恋をしたらすぐさま意見交換会を開催する。かわいいコートを見つけたらすぐにシェアしてしまうし、癒やされる猫さまや赤ちゃんの動画なんかを送りあって遊んでしまう。そういう母とわたしの関係性は、親子という以上に、姉妹であり、親友なのだ。
もちろん、母にもわたしにも家族だけではなく親友がいるし、仲間がいる。お互いにとっての大切なコミュニティが存在しつつも、絶対的な味方がいてくれるという安心感は、なにものにも代えがたい喜びだと思う。いつだって気兼ねなくいられる場所があることの心強さは、思っていたよりも大きい。
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母はひだまりのような人だ。根っからやさしく繊細な性格で、ときには他人のことですら深く考え悩むこともできる。そんな母だからこそ、母として、姉として、場合によっては一番の親友のような距離感で、娘であるわたしと接してくれていた。人ととことん向き合える彼女の真摯さがそれを可能にさせたのかもしれないが、正直いうと、大変すぎる挑戦だったのではないかと思う。
だって、ほぼワンオペ子育てという余裕を失ってしまうであろう環境のなかで、どれだけの強さを持っていれば、その朗らかさを保てるのだろうか。大人と呼ばれる年齢になったわたしですら、母のやさしさと強さは底知れない。そういった母の努力があったからこそ、わたしのこれまでの人生は素晴らしいものだった。
ひとりっ子だったわたしとの関係を、丁寧につないできてくれた母。そんな母にわたしが娘として、妹として、親友としてできていることはそう多くないように思う。与えてもらってばかりだ。だからこそせめて、こうして手紙を綴るような気持ちで母のことをエッセイに書いた。少しでも、これまでの感謝が伝わればという思いを添えて。
「わたしなんて、大したことないんだよ」って口癖のように言っちゃう、わたしの母へ。
あなたは、わたしにとって唯一無二の存在です。これ以上ないくらいに愛おしくて、ずっと大切で、大好きです。だからこれからも、仲が良いという次元を超えている不思議な親子として、仲良く生きていこうね。本当にいつもありがとう。
文・詩乃