「運」で生きてきた父を、はじめて尊敬した日

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私の父は、運がいい。いや、運が良いというより、悪運が強いのかもしれない。

父の悪運エピソードは、今から30年以上前に遡る。30数年前、父が勤めていた会社が業績悪化を理由に倒産することとなった。

父の職場にいた人たちは、みんな逃げるように新しい仕事を見つけて、会社から巣立っていった。できる人は、決断も行動も早いのだ。

残念ながら我が父は要領が悪く、賢い訳でもなかったし、仕事もできなかった。

幸い自分で自分の能力を俯瞰するスキルがあったせいか「自分が動いたところで、大した結果は得られないだろう」と、父はそのまま会社に居残り続けたそうだ。

その後、会社に居残り続けた父は勤め先の親会社に拾ってもらえることとなった。最後まで会社に残っていたのは、どうやら父くらいだったらしい。

残りものには福があるということわざを地でいく男、それが父だ。

拾ってくれた親会社は、超大手企業。父の給料は一気にアップし、住まいも平屋ボットン便所からシルバニアファミリーが住みそうな可愛いアパートにグレードアップ。

タイミングによっては、父みたいな人間が、のちのちノロマな亀のようにおいしい思いをすることもあるのだ。

その後、父は退職するまでずっとその企業に身を置くこととなった。

父の勤める会社は、頻繁に全国転勤があった。そのため、父は3〜4年で転勤を余儀なくされた。ずっと単身赴任だった父は、家にはほとんどおらず、父の記憶はあまりない。

父がすごいのは、長い単身赴任生活にも関わらず、大きな病気になったことがないところだ。

単身赴任生活を送る男性の中には、不摂生やストレスが原因で心を病む人も少なくないらしい。しかし、父は長い単身赴任の間、風邪すら引かなかったのだそう。運だけではなく、父は心も体も強かった。

また父は、人に愚痴や不満をこぼすこともなかった。いつも飄々としていて涼しい顔をしていたので、ずっとストレスや不満のない人だと思っていた。

私が本当の父の心のうちを知ったのは、今の夫と結婚を決めたときだった。

夫がはじめて実家に挨拶に来たとき、父は夫に「なんの仕事をしているのかね?」と威厳たっぷりの形相で尋ねた。

夫は緊張のあまり「は、は、は、はいっ!」と、終始どもっていた。父は動じることなく冷静に威厳を保ちつつ対処した。

その後、父は夫に臆することなく「名古屋駅近くに、今度億ションが建つんや。あれ、どの会社が建てたか知ってるか?」と、ドヤ顔で勤め先を自慢し始めたのである。

そもそも父は、万年平社員の工場勤務。いくら勤め先の企業が億ションを建てたからといって、父がドヤ顔するのはお門違いもはなはだしい。それでも、この瞬間に父が勤め先に誇りを持っていることを知り、私は少し嬉しかった。

いつも涼しい顔をしていて、何も話さない人だったから、この人にも承認欲求が少なからずあったと知り、人間らしいと思ったのだ。

いつも母から頼りないと言われ続けてきた父だけど、その日は誰よりも威武堂々としていた。

両家顔合わせの日。

夫の父は企業勤めをしながらロードバイクなどの趣味を楽しみ、自由に過ごしてきた人で父とは対照的。母は、夫の父を見て「若々しくて、かっこいいわねぇ」と嬉しそうだった。

父は髪が薄くなり、残された毛もほぼ白髪と化している。夫の父の横に並ぶと、父は幾分老けて見えた。

父は夫の父に向かって「若々しくていいですね。僕は、趣味なんて全然できなかったし仕事のストレスで……」と、言葉を詰まらせた。

その時の父は、少しうつむき涙を浮かべているようにすら見えた。はじめて父は子どもの前で弱音を吐いた。

なぜ、私たちの両家顔合わせで父は弱音を吐いたのだろうか。定年後も、趣味を楽しみながら若々しく過ごす夫の父の姿を見て、我に返ったのだろうか。

私の結婚式でも、父は涙ひとつも流さなかった。最後に花束と手紙を渡した時も「おお、ありがとうね」と飄々と返し、そのまま単身赴任先の家に帰っていった。

父が弱音を吐いて涙を浮かべたのは、後にも先にも今のところ両家顔合わせの時だけだった。

数日後、実家に戻り再び父と母の若かしり頃の写真を眺めた。スラリとした長身で、小顔の父がいた。

ロングヘアーの父は、ジャニーズ顔負けのポージングを取り佇んでいた。

今や髪も薄くなり、白髪とシミまみれ顔の父ちゃんになるなんて。この頃は、きっと想像つかなかっただろう。

単身赴任する前は好きなアイドルの話もしていたものの、単身赴任してからは父との会話もすっかりなくなった。たまに会う家族とどう接していいのか、悩んでいるようにも見えた。

父は、運がいい。結婚も仕事も金運も、全て運でうまくいっているような人だ。

しかし、本当は私たちの知らないところで見えない苦労やストレスを抱え、日々家族のために自分の時間を犠牲にして戦い続けたのではないだろうか。

自分の時間を犠牲にした父は、昔のアイドルのように美しかった長髪は跡形もなくなり、残された白髪もいつ抜けるのか時間の問題になった。

昔のアルバムには、スタイル抜群で最高にキラキラしている父がいた。

どんな理不尽な転勤があっても辞めることもなく、弱音を吐くことなく仕事を続け、定年退職後も働き続けた父。

昔は、流されるように生きる父が嫌いだった。しかし、家族のために身を粉にして働き続けた父を今では尊敬している。

父の髪はもう既に薄いし、今後増えることはないであろう。もう育毛剤に頼ることもすっかりなくなった。

それでも、「来年も出向で働けるかも」と語る父の表情はとても嬉しそうだった。

文・みくまゆたん

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