18万5000キロの家族旅行
私にとっての家族旅行は自動車旅行だ。北海道旅行の一度だけ、飛行機を使ったが、現地ではレンタカーで移動した。その意味で言えばやはり自動車旅行と言える。
娘が生まれる直前に納車されたワンボックスカー。東は浦和。北は松島。西は大阪で、南は熊野まで。家族とこの車と共に旅した。現在の走行距離18万5000キロメートル。あと半年で13年目を迎える。あちこちに不具合が現れ始め、そろそろ疲れが見えてきた。通勤にも使用しているせいもあるが、家族が車内で過ごした時間も長く、思い出も多い。
旅の途中でコンビニでおにぎりを買って、そのまま駐車場で食べた。家ではやらないしりとりもやったし、出されたお題で、即興でお話しを創ることもやった。妻と娘の楽しく笑う声を聞くときも、後ろで二人が寝ているときも、私にとっては掛け替えのない幸せな時間を過ごすことができた。
我が家の家族旅行は朝が早い。いや、朝と言うより、深夜と言ってもいいかもしれない。テレビで言えば、早朝番組ではなく深夜番組の時間帯である午前2時に起きて出発するのが当たり前だからだ。目的地に着くまでの渋滞が嫌いという、私のわがままがその理由だ。そのため朝7時には、京都の街を歩いたり、石廊崎で岩に打ち付ける波しぶきを見るはめになったりする。朝が早いのに嫌な顔をせず「まだお星さま見えるね」「朝は人が少なくていいね」と言ってくれる二人に感謝だ。
旅行と言えば温泉だという、私と妻の共通認識に影響され、現地で日帰り温泉に入ることも多い。そのため、日帰り旅行であっても、帰宅するのは遅くなる。結果として、24時間以上の日帰り旅行という、日本語としてはいささか奇妙な表現が生まれることになる。帰宅時刻の方が日の出に近いということもしばしば発生するが、それでも宿泊しなければ日帰り旅行だし、気分の上では早朝出発、深夜帰宅だ。
もう一つ、我が家の家族旅行の定番として、旅のしおりがある。
家族旅行は「ここに行ってみたい」という妻の一言から始まる。それを受け、私が周辺の観光スポットや食事の店、温泉を調べてプリントアウトし、ファイルにまとめ、旅のしおりを作る。妻と娘がしおりを見ながら「ここ素敵だね」「こんな場所あるんだ」「美味しそう」と顔を輝かせるのを見て、こちらも嬉しくなる。
そんな家族旅行の中で、思い出深い旅行の一つが、愛犬とともに網代に一泊した旅行だ。部屋には露天風呂が併設され、食事も部屋でとるという、なんとも贅沢な旅行だった。愛犬と同じ布団で寝起きすることができて嬉しかった。
一緒に遊園地に入り、初めてのドッグランを体験した。潮の香りも初めてかいだのだろう。鼻を高く突き上げては、しきりに匂いをかいでいた。老犬にとっては刺激が強すぎる旅だったかもしれないが、同じ場所と時間を共有できて幸せな気分になった。
それが、最初で最後の、愛犬との旅行だった。
娘よりも先に我が家にやってきた愛犬は、私と妻にとっては、我が家の長女であり、家族だ。その考えでいくと、娘は次女ということになる。一家揃っての旅行はその一度だけ。それでも、その旅行に行くことができて、本当に良かったと思っている。
今、我が家には新しい愛犬がいる。三女と呼べる存在だ。その三女はまだまだ幼く落ち着きもない。今の車が現役の間に、一緒に旅行に行くことは難しいかもしれない。
春からは娘が中学に上がり、部活で忙しい日々を送るだろう。今までのように気軽に家族旅行には行けないと思う。コロナ禍もあって、去年から旅行はもちろん、外出も最低限に控えている。どこにも行かなくても、私にとって家族で過ごす時間は、大切で貴重な存在だと改めて感じた。
今までの家族旅行を思い返してみて、旅行は家族の記憶であると同時に、娘の成長の記憶でもあったことに気がついた。それは私の父としての記憶でもある。妻が私を夫にしてくれたように、娘が私を父にしてくれたからだ。そう考えると、家族で過ごす何気ない休日も、小さな日帰り旅行のように感じる。
行きたい場所や見たいものはまだまだたくさんある。そして、それを共有するのは、やはり妻や娘がいい。またいつか、気軽に家族旅行に出かけられることを楽しみにしている。
文・横山記央