家族を「処分」するということ

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私は片田舎に生まれた。家族構成は父と母と私の三人。要するに私は一人っ子だ。私が住んでいた地域はやたらきょうだいが多かった。30人のクラスで一人っ子は私だけだった。子どもの移動手段はもっぱら自転車。そんな自転車の圏内に遊べる友達も少なかった。だから、私は小さい頃から一人遊びが得意だった。リカちゃん人形の着せ替え、ひとりおままごと、一人神経衰弱、一人二役のババ抜き、そして読書や絵を描くこと。

そのようにいつも一人で過ごしていた私に変化が起こったのは小学1年生のとき。親が動物病院から1匹の猫を里親として引き取ってきたのだ。少しアメリカンショートヘアの血が入った雑種で、しっぽが長く、緑の瞳の美しいイケメンのオス猫だった。名前はスペイン語で「光」を意味する「ルス」と父がつけた。

ルスが来てからは毎日学校から帰るのが楽しみでならず、走って下校していた。そして撫で回したり外で一緒にかけっこをして遊んだりした。それまでは留守番も不安を抱く日が多かったが、ルスが来てからは留守番もへっちゃらになった。私はきょうだいができたように思って嬉しかった。ルスは家族の一員になったのだ。これは親から聞いた話だが、夜、小学生の私が寝室に行くと一緒についてきて、ベッドサイドに鎮座し、私が眠りに落ちると寝室から出ていっていたそうだ。まるで寝かしつけのようだったと親は語っていた。

現在は交通事故防止や感染症防止のため「猫は部屋の中で飼うように」と推奨されているが、当時は自由に家と外を出入りする飼い方が普通だった。大人になったルスは自分の行動範囲を広げ、あるとき完全に家出をしてしまった。寂しかったが、すぐに親は次の猫を里親として迎え入れた。それ以来、ずっと我が家には猫がいる生活が続いている。猫は家族だ。

進学のため上京してからは、猫がいない生活というものが寂しくてたまらなかった。そして仕事が軌道に乗り始めたとき、今なら猫を飼えると思い、ペット可の物件に引っ越して保護施設から猫を引き取った。白が多い三毛で、わがままで甘えん坊な性格のメス猫だ。雪のような白さとコロコロした体型から「小雪」と名付けた。毎朝4時に「腹が減った」と起こされる日々だが、小雪は私にとって宝物だ。家族だ。

ペットを飼っている人の多くはきっとそう思っているだろう。しかし、とても悲惨な話を聞いた。知人が重度のうつ病で働けなくなり区の窓口に生活保護の申請に行ったところ「猫は手放してください」と言われたそうなのだ。その知人は怒りと悲しみに暮れたが、別の区の窓口に行ったところ「猫は家族ですもんね」と、飼い続けることを認められたそうだ。

また、私自身も嫌な目にあったことがある。とある意地悪な男性から「もし結婚相手が猫が嫌いだったらどっちを選ぶの?」と聞かれたのだ。私は瞬時に猫と答えた。また、その男性は「猫を飼っていた知人女性が猫が嫌いな男性と結婚したため猫を処分したらしい」と話し始めた。処分!? 処分って殺処分のこと? ぎょっとして言葉が出なかったが、里子に出したという意味だったらしい。世にはペットを家族と捉えられない悲しい人もいるのだと知った。

実は小雪はハンディキャップ持ちだ。保護された当初、腰骨と右足を計11箇所骨折しており、生涯下半身不随だと言われていた。しかし、奇跡的に回復をして、今、少しバランスは悪いものの普通に歩いて自分で排泄もできる。引き取る際「もしかすると将来おむつ生活になるかもしれません」と言われて、一人暮らしの私に猫の介護ができるのか悩んだが、もうそのときは既に私の中で小雪が家族になっていた。それに、当時9ヶ月でもうほとんど大人になっており、後遺症も残っていないので大丈夫だろうと信じて引き取った。現在7歳になるが、たまに体調を崩すものの毎日元気に走り回っている。

実家にいた頃は親が主に世話をしていた猫。でも、小雪は自分で食事を与え、トイレの処理をして、必要なときは病院につれて行って投薬も行っている、私が初めて自分で飼った猫だ。小雪がいない生活は考えられない。1日でも多く長生きしてくれるよう、小雪との時間を大切に過ごしたい。

文・姫野桂

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