いまさら姉妹が話すこと

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関東で暮らす姉とスマートフォン越しに話すようになったのは、2020年春。10歳離れた私たちは、これまでおよそ姉妹らしい会話をしてこなかった。

というのも、姉が大学進学を機に家を離れた当時、私はまだ9歳だ。とても対等に話せる年齢ではない。そこから10年後に私も上京したが、連絡を取るきっかけはなかった。だって当時の姉は29歳で、私の知らない社会人生活で忙しそうだったからだ。それからまた年月が経って、久々に見た姉は美しい白無垢姿だった。それで、ようやく私が29歳になったとき、初めて二人でランチを食べに行った。やわらかい表情で子育てついて話す姉は、私の記憶する姉とはまた別の誰かになっている。

こんなふうに、姉はいつも私の10年先にいるのだ。それでも年齢を重ねるうちに、子どもと大人というような境界線は少しずつ消えていった。そして、今31歳と41歳になった姉妹は、頻繁にLINE通話をしている。

私たちが特に通じ合うようになったのは、共通の趣味の話があったから……ではなく、家族について話すようになったからだ。

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我が家はいわゆる“何不自由ない”家庭である。父は仕事に精力的で、母は専業主婦として家事を淡々と続けていた。経済的にもゆとりがあり、やりたいことは自由にやらせてもらっていたと思う。

それなのに私はずっと窮屈で、さみしくて、不安だった。きっとこんなふうに感じるのはわがままなんだと、我慢し続けた。最近まで、私は誰にもこのことを相談してこなかった。もちろん姉にもだ。

実家にいた頃の姉は、鋭いナイフのような目で遠くを睨んでいた印象がある。遠巻きに見てもわかるくらい、姉の反抗期は猛烈で長かった。幼少期の私は、姉が怖くてしょうがなかった。そもそも家にほとんどいないし、いても何を話したらいいのかさっぱりで。

姉と両親の衝突やすれ違いを遠目に見ていた私は、そのかたわらで勉強やら習い事やらをがんばって、いい子でいようと努めていた。別に家族から強制されたわけではない。私が勝手に気を遣っていただけだ。何もできない子どもなりに家族をつなぎ留めたかったし、欲を言えば、自分を見てほしかったんだと思う。

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なぜ31歳と41歳になった姉妹が家族について話すようになったかというと、ひょんなことから二人とも家族に対して同じ感情を抱いていたことを知ったからだ。私たち、二人ともさみしくて不安だったのだ。だから姉は盛大に反抗して、妹はいい子ちゃんを演じていたらしい。

いざ家族について本音をぶちまけてみたら、返ってくる姉の言葉におどろくほど共鳴できた。誰にも理解してもらえないとあきらめていた感情なのに。私は両親のことを責めたい気持ちをずっと押し込めてきた。それを「悪くない」と姉に認めてもらえたことで、今までどれだけ自分の心を偽ってきたか気付いた。いまさら25年分くらいの傷が痛んだり怒ったり、忘れようとしたことを思い出したり。心も頭も大騒ぎだ。

そうしてついに、両親に私の本心を告げてみた。その後の私と両親のやりとりについては想像に任せるけれど、結局、親との連絡を絶つことに決めた。姉に電話をかけて、わんわん泣いた。きっとこれは、家族という名の魔法がとけていく過程なのだと思う。この魔法がとけて初めて、ほんとうの家族と信頼を築いていくことができるのだろう。

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2020年冬、コロナウイルスの影響はまだまだ続きそうだ。遠く離れて住む姉と連絡を取り合うきっかけと、同じ市内に住む両親と距離を置くきっかけ。どちらもコロナ禍に乗じてもらえたものだと思う。仕事が減ってひとりになれたから、家族と向き合えた。

いまさら本音で話せるようになった姉の存在は、心がぐらりと倒れそうになる瞬間を支えてくれている。姉妹だからではなく、私の感情を理解しようとしてくれたからだ。それは家族なら誰もができることじゃない。私は姉をあらためて大切なひとだと思った。

年末年始、両親に顔を見せないのは何年ぶりだろう。二人を喜ばせようと気張ることなくのんびり過ごせる正月を想像したら、わくわくしてきた。旦那とゲームをして、昼まで寝て、大好きなスナック菓子をむさぼって缶チューハイを飲もう。ほんとうは私、そういうぐだぐだした休みが好きなのだ。

あ、それから姉に電話しよう。「今年もよろしくね」と。

文・宿木雪樹

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